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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)2439号 判決

甲号・乙号事件原告

大久保隆典

ほか三名

甲号・乙号事件被告

大和自動車交通株式会社

主文

壱 被告は、甲号事件原告大久保宙典に対し金四百万円およびこれに対する昭和四拾六年六月拾参日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

弐 被告は、乙号事件原告大久保キミ子に対し金五拾万円、同大久保隆典、同大久保浩美それぞれに対し金弐拾五万円および右各金員に対する昭和四拾六年拾月六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

参 甲号、乙号各事件原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四 訴訟費用は、甲号事件原告大久保宙典と被告との間においては、同原告に生じた費用の全部と被告に生じた費用の四分の参とを通じ、平分しその壱を同原告の、その余を被告の各負担とし、乙号事件原告らと被告との間においては、同原告らに生じた費用の全部と被告に生じた費用の四分の壱とを通じ、参分しその弐を同原告らの、その余を被告の各負担とする。

五 この判決は、主文第壱、第弐項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告ら

(一)  被告は、甲号事件原告大久保宙典に対し金八、五三四、八九〇円およびこれに対する昭和四六年六月一三日から、乙号事件原告大久保キミ子に対し金二、〇〇〇、〇〇〇円、同大久保隆典、同大久保浩美に対し各金五〇〇、〇〇〇円および右各金員に対する同年一〇月六日からそれぞれ完済まで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行宣言。

二  被告

(一)  原告らの請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

第二当事者の主張

一  請求原因

(一)  事故の発生(以下左の交通事故を本件事故という。)

1 日時 昭和三七年八月一一日午前一時二〇分頃

2 場所 東京都北多摩郡田無町二八八番地(ただし、当時の地番)先所沢街道上

3 加害者 普通乗用自動車(三あ二〇七六号)

運転者 細川功治(以下細川という。)

4 被害者 甲号事件原告大久保宙典(以下原告宙典という。)が受傷したものであり、乙号事件原告大久保キミ子(以下原告キミ子という。)はその妻、同大久保隆典(以下原告隆典という。)同大久保浩美(以下原告浩美という。)はその子である。

5 事故態様

原告宙典は、飲食店で飲酒して帰宅途中の前記所沢街道を北側から南側に向けて横断歩行中、左側すなわち東側(田無町交差点方面)に自動車のライトが見え、その方向を向いたところ、このライトに目がくらみ一瞬立ちすくんでいたところに、東方向から来た加害車に接触され、はねとばされた。

6 傷害の部位、程度

(1) (病名)頭部打撲、右大腿部挫傷

(2) (治療の経過)別表のとおり

7 後遺障害

原告宙典は、本件事故により受傷した後の昭和四二年四月一二日、突然強いめまいと頭痛とを生じたが、これが継続し、昭和四三年五月、公立北多摩昭和病院(以下昭和病院という。)で「頭部外傷後遺症」である旨診断された。この症状は改まらず、今日なおめまい、頭痛、吐気、耳鳴が存する。これは自賠法施行令別表等級第三級の後遺障害に該当する。

(二)  本件事故と後遺障害との因果関係

原告宙典は、別表(1)欄記載のとおり本件事故当日である昭和三七年八月一一日から同年一二月一一日までの間佐々病院に入院し、引続き同表(2)欄記載のとおり昭和三八年五月まで同病院に通院していた。その後通院を中止したのは、治療費の支払に窮したためであつて、治癒したからではない。同原告は、通院中止中自宅で療養していたが、めまい、頭痛、倦怠感に悩まされており、これらの症状が昭和四二年二月一六日まで継続していた。同原告は、翌一七日、日本衛生寝具株式会社に勤務し始めたものの、それから二か月も経たない同年四月一二日、勤務中にめまいを再発して今日に至つている。右のように同原告の症状は、本件事故後一貫して継続しているから、本件事故により生じた後遺障害である。

(三)  責任原因

被告は、加害車を所有し、自己のため運行の用に供していたのであるから、自賠法三条により本件事故によつて被つた原告らの損害を賠償すべき義務がある。

(四)  損害

原告らは、本件事故による原告宙典の後遺障害の発生により、次の損害を被つた。

1 原告宙典

(1) 治療費 金二六、三〇〇円

(内訳)

佐々病院(ただし、昭和四二年四月一二日以降) 金二〇、一八〇円

武蔵野赤十字病院(以下日赤病院という。) 金一、八六〇円

東京大学医学部付属病院(以下東大病院という。) 金二〇〇円

慶応義塾大学病院(以下慶応病院という。) 金二〇〇円

昭和病院 金三、八六〇円

(2) 入院付添費 金八九五、〇〇〇円

入院期間中妻原告キミ子の付添を必要とした八九五日間一日金一、〇〇〇円あて

(3) 入院雑費 金三〇〇、八〇〇円

昭和四二年一〇月一七日から昭和四七年五月八日までの入院日数一、五〇四日間一日金二〇〇円あて

(4) 逸失利益 金五、九七〇、六〇〇円

後遺障害が発生した昭和四二年四月一二日以降の得べかりし利益の喪失は、次のとおりの算式で算出される。

(年令) 昭和三年一二月五日生(三八才)

(収入) 月金三二、一〇〇円

(労働能力喪失率) 一〇〇パーセント

(就労可能年数) 二四年

(年五分の中間利息の控除) ホフマン方式

(算式) 三二、一〇〇(円)×一二(月)×一五・五〇(係数)=五、九七〇、六〇〇(円)

(5) 慰藉料 五、〇〇〇、〇〇〇円

前記後遺障害は、入院期間が二、〇〇〇日を超え、以後も自宅での療養を必要としていることからも明らかなとおり、将来治療する見込みの全くないものであるから、これによる精神的損害金として金五、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。

(6) 過失相殺による控除 金三、六五七、八一〇円

本件事故は、細川が加害者を運転し時速約六〇キロメートルで本件事故現場付近にさしかかつた際、横断歩行中の原告宙典を認めたのに、同原告が横断し終るものと軽信し、そのまま加害者を進行させた過失を原因として発生したもので、同原告にも過失があるとしても、その程度は同原告の三に対し、細川の七の割合が相当である。そうすると、前(1)ないし(5)の合計金一二、一九二、七〇〇円のうち、同原告の過失割合分として三〇パーセントに相当する金三、六五七、八一〇円が控除され、その余の七〇パーセントに相当する金八、五三四、八九〇円が、被告に対し請求しうる損害額となる。

2 原告キミ子

慰藉料 金二、〇〇〇、〇〇〇円

原告宙典の後遺障害の内容、程度は前記のとおりであり、今後も治療を継続しなければならないが、その妻である原告キミ子は、寝床での臥床、排便、食事等の一切の世話をしなければならず、通常の夫婦としての生活は全く期待できないから、その精神的苦痛は言語に絶するものがある。よつて、原告キミ子の精神的損害として金二、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。

3 原告隆典、同浩美

慰藉料 各金五〇〇、〇〇〇円

原告宙典の後遺障害により、その子である同隆典、同浩美らは、成長期に父を囲んだ家族の団らんや父とのレジヤー、遊び等ができなかつたし、将来もそれが望めないから、精神の発育上多大な影響を受けているうえ、精神的苦痛自体も大である。よつて、原告隆典、同浩美らの精神的損害として各金五〇〇、〇〇〇円が相当である。

(五)  結論

よつて、被告に対し、原告宙典は金八、五三四、八九〇円およびこれに対する本件事故後の昭和四六年六月一三日から、同キミ子は金二、〇〇〇、〇〇〇円、同隆典、同浩美は各金五〇〇、〇〇〇円および右各金員に対する本件事故後の同年一〇月六日からそれぞれ完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の答弁、抗弁

(一)  答弁

1 請求原因(一)項中、1(日時)、2(場所)、3(加害車)、4(被害者)の各事実は認める。同5(事故態様)の事実中、原告宙典が飲酒して横断歩行中加害車と接触したことは認めるが、その余は不知。同6(傷害の部位、程度)の事実のうち(1)は認める。同(2)のうち別表(1)、(2)欄は認めるが、その余は不知。同7(後遺障害)の事実は不知。

2 同(二)項の本件事故と後遺障害との因果関係があるとの主張事実は否認する。本件事故による原告宙典の傷害は昭和三八年五月頃治癒したものであり、原告ら主張の後遺障害の発生状況、時期、経過等を考慮すれば、本件事故と右後遺障害との間に因果関係がないことが明らかである。

仮に、右因果関係があるとの前提に立つても、右後遺障害は主として原告宙典の心因的なものに起因しているのであるから、被告は、原告らに対し、その主張する損害額の三〇パーセントを超えて負担する義務はない。

3 同(三)項の事実は認める。

4 同(四)項の各事実はいずれも不知。

(二)  仮定抗弁

1 原告宙典の債務免除

被告と原告宙典とは、昭和三八年七月一五日、「被告は、同原告に対し、右の日までの治療費、休業補償費として金三二五、三六五円、爾後の治療費ならびに慰藉料として金二〇〇、〇〇〇円、合計金五二五、三六五円を支払う。本件交通事故については、双方協議の上前記のとおり一切円満解決した。今後本件に関しいかようなことが生ずるとも、当事者間において絶対に異議を申さない。」との示談契約を締結した。これによつて同原告は、被告に対し、右示談条項以外の一切の損害賠償債務を免除したのであるから、被告は、同原告に対し、何らの債務を負担するものではない。

2 原告宙典に対する消滅時効

原告宙典の後遺障害の発生が、その主張する昭和四二年四月一二日であるとすれば、同原告は、その日に損害および加害者を知つたことになるから、同原告の損害賠償請求権は、同日より三年間を経過した日に時効により消滅した。

3 原告らに対する過失相殺

原告宙典は、本件事故の前日夜から自宅および飲食店で飲酒して酔余のうえ、しかも深夜、交通に関し何ら注意を払うことなく、いわゆる斜め横断の所為に及んだこと、その後、治療を受けている医師の指示に従うことなく、いたずらに症状を悪化させて損害を増大させた過失があるから、その損害額算定にあたり過失相殺さるべきである。

三  抗弁に対する原告らの答弁、主張

(一)  原告宙典

1 抗弁1(債務免除)の被告主張の示談契約締結の事実は認める。

(1) しかし、右示談契約は、当時原告宙典の症状(傷害を含む意である。)および同原告と被告との双方において当時発生を予測しえた症状に基づく損害について被告の損害賠償義務と同原告のその余の損害賠償請求権放棄を定めた合意であつて、右当事者双方が当時発生を予測しえなかつた症状に基づく損害については示談の合意はなされていない。しかるに右示談契約当時においては今日のような医学上の進歩がみられなかつたうえ、同原告自身後遺障害に関する知識を有せず、また本件事故当時受傷した頭部外傷に関して後遺障害の発生を窺わせるに足りる具体的な事情がなかつたために、同原告は前記後遺障害の発生を全く予測せず、また何人にも予測しえなかつたのである。したがつて、被告は、右示談契約が有効としても、右後遺障害に基づく損害について損害賠償義務を免れることはできない。

(2) 右示談契約は、右当事者双方において当時の同原告の症状および当時発生を予測しえた症状に基づく損害を前提に締結されたものであり、その後に前記のように予測しえなかつた後遺障害が発生したのであるから、同原告の少額の支払約束および本件事故に基づく一切の損害賠償債権を放棄するが如き意思表示には重要な部分に錯誤があり、右示談契約が無効であるか、少くとも同原告の損害賠償請求権放棄の部分が無効である。

2 抗弁2(消滅時効)の事実中、後遺障害発生日時の点を除きその余は否認する。原告宙典の後遺障害に基づく損害賠償請求権の消滅時効の起算点は、同原告が昭和病院で、症状の発生原因が本件事故によるものであることを知つた昭和四三年五月中である。

(二)  原告ら

抗弁3(過失相殺)の事実中、原告宙典が、本件事故直前飲酒したことは認めるが、その余は否認する。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  事故の発生

成立に争いがない〔証拠略〕によると、原告宙典は、昭和三七年八月一〇日午後一〇時過頃から東京都北多摩郡田無町二八八番地(ただし当時の地番)先所沢街道付近の飲食店でビールを飲み翌一一日午前一時三〇分過頃同店を出て帰宅途中右道路を北側から南側に向けて横断を開始したところ、右道路の東側(田無町交差点方面)から走行して来る加害車のライトが見えたためその方向を向いた際、このライトに目がくらみ一時これを避けるためその場で停止していたこと、他方、細川は加害車を時速約四〇キロメートルで運行し、現場付近にさしかかつた際、右前方約一二メートル先路上に同原告の佇立しているのを発見したがそのままの速度で進行したこと、その直後同原告が小走りでやや斜めに横断をし始めたため、細川が急ブレーキをかけたが間に合わず、加害車の右前部フエンダー付近を同原告に接触させ、同原告が路上に転倒したことが認められる(本件事故の日時、場所、同原告の飲酒横断、加害車被害者の接触は各争いがない。)。

二  傷害および後遺障害と本件事故との因果関係

(一)  事実〔証拠略〕を総合すると次の事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

1  原告宙典は、本件事故により頭蓋骨皹裂骨折、頭部打撲、脳挫傷、右大腿挫傷、右前腕擦過傷の傷害を受け、その当日たる昭和三七年八月一一日から別表(1)欄記載のとおり佐々病院に入院し、当初から強い頭痛、大腿部疼痛があり、また入院後の一〇日目頃からはめまいを訴えていたが、同年一二月一一日の退院時には一時これらの症状が軽快し、右前腕擦過傷はほぼ治癒していた。しかし、同原告は別表(2)欄記載のとおり同月から昭和三八年五月まで同病院に通院していた間も、めまい、頭痛を訴えていた(右頭部打撲、右大腿挫傷および入通院の事実は争いがない。)。

2  その後も同原告は、時々めまい、頭痛の症状を訴えてはいたものの、医師の特段の治療を受けずに自宅で療養し、右症状をほとんど生じないまでに回復したので、昭和四二年二月一七日から日本衛生寝具株式会社に作業員として勤務し始めた。

3  しかし、同原告は、昭和四二年四月一二日、右会社で作業中強いめまい頭痛を生じて倒れ、別表(3)(4)のとおり同日から同年一〇月一四日まで佐々病院の内科へ通院し、さらに同月一七日から昭和四三年一月八日まで同科に入院し、その後同年五月三一日まで同科に通院した。そこでの診察によつても、めまい、頭痛の原因が判明せず、その間同原告は、これらと昭和四二年一〇月中旬頃から発生した耳鳴り、歩行障害との各症状およびその一応の原因とされた疾病に対応する内科的治療を受けたが、特段の効果はなく、右症状は一進一退の状態であつた。

4  同原告は、右のように佐々病院に入通院して治療を受けてきたものの症状が軽快しないため、別表(5)欄記載のとおり昭和四三年四月一〇日昭和病院に通院し、そこの整形外科医の診察を受けたところ、同原告の前記症状は頭部外傷後遺症、推間板ヘルニヤ、椎骨動脈不全症、高血圧症によるものである旨診断されるとともに、本件事故後、医師からはじめて、交通事故の後遺障害である疑いがある旨告げられ、かつ慶応病院の脳神経外科医の検査を受けるようすすめられた。

5  そこで同原告は、別表(7)欄記載のとおり昭和四三年四、五月慶応病院の脳神経外科医の神経学的検査、頭部等のレントゲンによる写真撮影等を受けるため通院したが、その間の同年五月六日に強いめまいが生じたため別表(6)欄記載のとおり同日から同年七月五日までに昭和病院に入院した。右入院中の同年五月二一日の同病院の診察の結果においてもめまいが強く、歩行困難な状態であるとされ、これらは頭部外傷後遺症、椎間板ヘルニヤによるものと診断された。一方慶応病院では、右検査等の結果同月末、めまい、歩行障害あり、これは頭部外傷後遺症であつて長期の療養を要する旨の診断をした。

6  同原告は、昭和四三年七月二日めまい等の症状の原因についてなお究明する必要があるとの昭和病院の医師のすすめにより、日赤病院で診察を受け、同月五日右検査のため昭和病院から日赤病院に転医し、以後別表(8)欄記載のとおり同年八月一四日まで日赤病院に入院した。その検査の結果、椎骨脳底動脈循環不全症およびこれによる眩暈症である旨診断された。また、右入院中と退院後に別表(9)欄記載のとおり同年七、八月東大病院にも通院し、そこの神経内科医の診察を受けた結果、頭部外傷後遺症、腹部両足湿疹、椎骨動脈不全症、椎間板ヘルニヤ、高血庄、顔面湿疹、両手汗疱、神経症の疑いがある旨診断され、同病院での治療の結果一時目まい症状が軽快したこともあつた。

7  同原告は日赤病院での検査が終了したことにより同病院を退院し、再び別表(10)欄記載のとおり昭和四三年九月一六日昭和病院に入院したが、治療を継続しても症状が軽快することなく、昭和四五年二月頃にはめまいが強くなり、食欲も減退し始めたため、これ以上入院を継続しても効果がないと考え同月四日退院した。

8  同原告は一旦自宅で療養していたものの、右の症状に変化がないため、別表(11)欄記載のとおり昭和四五年二月一八日佐々病院に入院し、今度はそこの外科医の診察を受けた。そして同年四月当時、頭痛、めまい、嘔気、耳鳴り等の自覚症状は強度であり、起床、寝返り等は殆ど困難になり、常時介護を要する状態に陥つたが、これらは頭部外傷後遺症、椎骨脳底動脈循環不全、外傷性神経症による旨診断され、以後昭和四八年九月一〇日までの入院中およびその後現在に至るまでの別表(12)欄記載のとおり自宅療養中右症状には変化がない。現在一週間に一回程度同病院の医師から往診を受けているが、これまで右症状治癒のための唯一の治療方法と考えられている長期間の積極的なリハビリテーシヨンは、同原告の性格によるか、症状自体が重いためか、ほとんどなされていない。

9  以上の症状の原因を医学的に考察すれば、昭和四二年四月頃発生した目まい、頭痛、嘔気、耳鳴、食欲減退、歩行障害の各症状(以下昭和四二年四月頃発生の目まい等又は本件後遺障害という。)の原因は必ずしも明らかでないが、状態像としては高血圧症および脳底動脈不全症が最も考えられ、いずれも本件事故に起因する可能性は、仮にあるとしても僅かであつて、その後に原告宙典のめまいに対する恐怖心と、本件事故に起因する外傷性神経症とが右症状を増悪させたとみられる。

(二)  評価

〔証拠略〕にもとづき相当因果関係の有無を判断する。

原告宙典は本件事故によつて頭蓋骨皹裂骨折、頭部打撲、脳挫傷、右大腿挫傷、右前腕擦過傷の傷害を受け、事故後間もなく頭部の傷害による頭痛、めまい等が発現したが、この症状は事故後の四か月後頃から軽快し始め、その頃からは歩行も可能となり、事故後早くとも九か月後頃からは医師による治療を受けないでも特段の障害がなく日常生活をなしうる状態にまで一たんは回復した。

しかし事故から約四年八か月経過した昭和四二年四月頃同原告に本件事故と法的因果関係があるとはいえない高血圧症、椎骨脳底動脈不全症が発現し、その頃からこれによる目まい、頭痛、嘔気、耳鳴、食欲減退、歩行障害が発生存続し、それと相前後して本件事故による頭部外傷によつて発生したとみられる外傷性神経症が併発し、これらが併存・競合したため、目まい、頭痛等の各症状が増々悪化し同原告は遅くとも本件事故の約七年後の昭和四五年四月頃から右症状のため起立不能で寝たきりの状態となり、また自用を弁じえず、常に介護を要する程症状重篤化し現在(昭和四九年五月)に至り、病状の回復は極めて困難であるものの、不可能であるとはいえない。

以上のように判断できるのであるから、昭和四二年四月頃発生の目まい等に伴う損害に対し、本件事故はその原因をなし、これと相当因果関係に立つといわざるを得ない。

三  責任原因

(一)  運行供用者

被告が加害車を所有し、これを自己のため運行の用に供していたことは争いがないから、被告は、次の各抗弁が認められない場合には、自賠法三条により、後記原告宙典の損害を賠償する義務があるというべきである。

(二)  被告の原告宙典に対する債務免除の抗弁

原告宙典と被告間で、昭和三八年七月一五日、被告主張のように当時までおよびそれ以後の治療費慰藉料の支払いおよびその他の損害賠償債権不存在の合意が結ばれたことは争いがない。

〔証拠略〕を総合すると、原告宙典は、右示談契約を締結した昭和三八年七月頃佐々病院の通院を中止し自宅療養をしていたが、当時時折軽い頭痛目まいがあつた程度で、これらはやがて短期間のうちに治癒すると考えていたこと、同原告はそのような考えに基づいて治療費、休業補償費のほか爾後の治療費、慰藉料を含め約金五二〇、〇〇〇円の示談金で示談し、本件事故に基づく一切の損害賠償債権を放棄する旨約したこと、同原告の右の頭痛等は遅くとも昭和四二年二月頃までには軽快したこと、しかし、昭和四二年四月頃発生した目まい等は現在(昭和四九年五月)に至るまで存続しているのであるが、これらは、本件事改による頭部外傷の後遺障害である神経症と、本件事故と関係があるとはいえない椎骨脳底動脈不全症等との競合の結果、前記のとおり重篤化したものであつて、その回復のために現在に至るまでの約六年に及ぶ入・通院と今後の長期の治療を要し、右示談契約当時、原告宙典らにおいて到底その発生を予測しうるものではなかつたこと、以上の事実を認めることができ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

以上の事実と〔証拠略〕の文言等とくに右文言に将来の治療費等につき何らの限定を付していないことに鑑みると、同原告は、示談契約当時存した頭痛、めまいの症状はやがて軽快し、その後は本件事故の傷害の後遺障害は一切発生しないものと誤信し、そのため右症状による損害相当分としての示談金約五二〇、〇〇〇円を受領することによつて本件事故に基づく一切の損害賠償債権を放棄する旨の意思表示をしたものであるから、右意思表示には昭和四二年四月頃発生の目まい等による損害賠償債権に関する限度で要素に錯誤があつたというべく、無効たるを免れない。なお、右に述べたとおり、原告宙典と被告間の右約五二〇、〇〇〇円の支払約束およびその余の債権の放棄の合意は、同原告の本件事故による傷害、症状のうちで示談契約当時存し、昭和四二年二月頃までには軽快したものによつて生じた損害の賠償に関しては有効であつて、原告らはその頃までに発生した損害については被告に対し賠償請求することはできない。

(三)  被告の原告宙典に対する消滅時効の抗弁

原告宙典の本件後遺障害の発生時が昭和四二年四月頃であることは前記のとおりである。

しかし、前二(一)45の認定事実によると、同原告が右後遺障害が本件事故と因果関係のあるものとはじめて知つたのは、昭和病院に入院した後の昭和四三年五月二一日か、早くとも同病院で最初に診察を受けた同年四月一〇日であると認められ、この時点で同原告は、本件請求の損害の基礎たる各症状が、本件事故による後遺障害であることを知つたものというべきである。そうすると、同原告の被告に対する右損害賠償債権の消滅時効の起算点は、早くとも同年四月一〇日となるから、同原告が本訴提起をしたことが記録上明らかな昭和四六年三月二五日には時効の中断があつたというべきで、いまだに消滅時効は完成していないことになり、結局、被告のこの点の抗弁は理由がない。

四  損害

(一)  原告宙典の損害金四、〇〇〇、〇〇〇円

原告宙典は、本件事故に遭わなくとも、昭和四二年四月頃高血圧症、椎骨脳底動脈不全症に罹り、これによる目まい等の症状を見るに至つたとみられることは前示のとおりである。以下認定の治療費、入院付添費、入院雑費はいずれも、本件事故による外傷性神経症のため右症状が増悪した部分の治療に要した費用にとどまらず、本件事故に遭わなくても発生した症状の治療のため要した費用も含むものである。さらに逸失利益も、本件事故による外傷性神経症のため生じた労働能力の低下部分のみならず、本件事故に遭わなくても発生した障害のため労働能力が低下したとみられる部分も含んでいる。慰藉料も同様である。

これらの各項目につき、右両者を金銭的に区分して算出する方法をとらず、一応両者一括して損害額を算出し、その合計額につき公平の原則による減額をすることにした。その理由は後に四(一)6で説明する。

1  治療費 金二六、三〇〇円

次の各証拠によれば、原告宙典が昭和四二年四月一二日以後発生した前記目まい等の症状の治療費として各病院に支払つた金額は、次のとおりであることが認められる。

〔証拠略〕によると佐々病院に金二〇、一八〇円

〔証拠略〕によると日赤病院に金一、八六〇円

〔証拠略〕によると東大病院に金二〇〇円

〔証拠略〕によると慶応病院に金二〇〇円

〔証拠略〕によると昭和病院に金三、八六〇円

以上合計金二六、三〇〇円

2  入院付添費 金八九五、〇〇〇円

〔証拠略〕によると、原告宙典が前記佐々病院に入院した昭和四二年一〇月一七日以後昭和四七年五月八日までの入院期間のうち八九五日間について、同原告の妻である原告キミ子が付添看護をしたことが認められる。そして、前記原告宙典の本件後遺障害等を合わせ考慮すれば、右付添による損害は一日金一、〇〇〇円、合計金八九五、〇〇〇円と評価でき、これが本件事故と相当因果関係に立つ損害であると認めるのが相当である。

3  入院雑費 金三〇〇、六〇〇円

前記認定の原告宙典の本件後遺障害の内容、程度ならびに入院期間等を考慮すると、昭和四二年一〇月一七日から昭和四七年五月八日までの各病院に入院した合計日数一、五〇三日間について、入院雑費として一日あたり金二〇〇円、合計三〇〇、六〇〇円を支出したことが推認される。

4  逸失利益 金一一、八〇〇、〇〇〇円

弁論の全趣旨により真正に成立したことが認められる〔証拠略〕によると、原告宙典は、昭和三年一二月五日生まれの男性で本件事故時の約一年前から東洋精器株式会社に勤務し月額金二〇、〇〇〇円程度の収入を得ていたが、それ以前は一定の職場に定着しえず、電機会社やホテル等に勤務していたこと、同原告は本件事故後の昭和三八年五月頃右会社を退職し、その前後約四年就職しなかつたこと、昭和四二年二月当時三八才で日本衛生寝具株式会社に勤務し始め、そこで本件後遺障害発生前は月額金三二、一〇〇円の収入を得ていたことが認められる。

当裁判所に顕著な昭和四二年の賃金構造基本統計調査によると男子労働者産業計学歴計全年令平均給与月額は金五二、七三三円(従業員規模一〇人以上)、昭和四三年のそれは金六三、一三三円、昭和四四年のそれは金七一、八〇〇円、昭和四五年のそれは金八五、五八〇円、昭和四六年のそれは金九七、六八三円であることが認められる。

以上の諸事情を考慮すると、原告宙典は、本件後遺障害が発生しなければ

昭和四二年五月から同年末まで月額金三二、一〇〇円

昭和四三年中 月額金三八、〇〇〇円、

昭和四四年中 月額金四三、〇〇〇円

昭和四五年中 月額五二、〇〇〇円

昭和四六年以降 月額五九、〇〇〇円

を下らない収入を得ることが可能であつたと認めるのが相当である。

そこで、同原告の逸失利益を計算すると、前記本件後遺障害の内容、程度により労働能力喪失率一〇〇パーセント、昭和七〇年四月まで就労可能(昭和四二年五月から満二八年)とし、複利で年五分の中間利息を控除し、これが労働能力喪失の金銭的評価にすぎない点に着目し、端数を調整すれば金一一、八〇〇、〇〇〇円となる。

5  慰藉料 金八、〇〇〇、〇〇〇円

原告宙典が本件事故に遭遇した後、前記の内容、程度の後遺障害の発生を見るに至り、将来回復の見込みがほとんどないこと等の諸事情を考慮すると、右後遺障害による精神的苦痛に対する慰藉料として金八、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。

6  公平の原則による減額

(1) 本件事故と本件後遺障害との間に相当因果関係が存在することは前二で認定したとおりであるが、そこで認定した事実によれば、本件事故と法的因果関係ありとはいえない原告宙典自身の高血圧、脳底動脈不全症により前記後遺障害が発生し、これに本件事故と法的因果関係ある外傷性神経症が併発してこの障害の持続、増悪の原因の一つとなつているのである。

(2) ところで、本件のように、本件事故と法的因果関係に立たない被害者自身の病的素因、体質等と、本件事故自体との各要因がからみ合つて本件後遺障害を生ぜしめているような場合には、本件事故が症状に寄与している割合において因果関係を肯定するとの立場が存する。しかし証拠上かような割合を認定するには十分でないのみならず、そもそも、実定法上、加害行為と相当因果関係に立つ全損害を負担すべき者は、過失相殺の適用ある場合を除き、当該加害者に限られるのであつて、その損害発生に当りかゝる病的素因等が寄与していたとしても、その原因者たる被害者がこれを分担するものとは考えられていないのであるから、右立場はとり得ない。

(3) もとより相当因果関係を肯定することは、直ちに損害額の全額を加害者に負担させることを意味するのではない。それは、被害者の病的素因等の要因を、損害評価の面において損害の公平な分担の原則に基づき減額事由として考慮すべきであり、これで足りると解する。

(4) そうすると、本件後遺障害による全損害額のうち約七〇パーセントを前記減額事由として控除し、その余の約三〇パーセントを被告に負担させるのが相当である。

そこで、前四(一)1ないし5の合計額金二一、〇二一、九〇〇円から約七〇パーセント相当額を控除すれば、その余の残額は金六、〇〇〇、〇〇〇円となる。

7  過失相殺

〔証拠略〕ならびに前一の事故態様を総合すると、本件事故の現場は幅員約七・三メートルの道路上で、本件事故当時は深夜で人車の通行がほとんどなかつたこと、細川が前記所沢街道上を時速約四〇キロメートルで加害車を走行させ、右事故現場付近にさしかかつた際、右前方約二〇メートル先に歩行者がいるのに気をとられたため約一二メートルに接近してから原告宙典が佇立しているのを発見し、しかも、その後もそのままの速度で進行したこと、他方、同原告はその付近の飲食店で飲酒し帰宅途中右道路を横断しようとしたところ、加害者が走行して来るのを知りながら、同車から距離等をとり安全を十分に確かめることをしないで、やや斜め方向に横断し始めたため、道路中央付近で加害者と接触したことが認められ、これを左右するに足りる証拠はない。そうすると、細川には、深夜で進路前方左右の見通しが必ずしも十分でなかつたのであるから、一層前方を注視し、横断者があるときは減速したうえで、その動静等を確認し、これと接触するような危険を回避すべき注意義務があり、これに反した過失がある。他面同原告にも、深夜飲酒のうえ注意が散漫になりがちな状態であつたのであるから一層横断道路の安全を確認して横断を開始すべき注意義務があり、これに反した過失があるというべきである。

さらに、前二(一)の各証拠に照らすと、同原告がこれまで治療にあたつた医師の指示に全面的に従つてきたとはいえない一面があるが、それも本件後遺障害による苦痛、恐怖心のなせるところとも理解しえなくはないし、とりわけ症状を悪化させる等損害増大の過失行為があつたと認めるに足りる証拠はない。

したがつて、右事故発生に関する同原告の右過失を斟酌して、同原告の前記損害額につきその三三パーセント強程度を過失相殺するのが相当である。

よつて、右6の金六、〇〇〇、〇〇〇円から三三パーセント強を控除した残額は金四、〇〇〇、〇〇〇円となる。

(二)  原告キミ子、同隆典、同浩美の各損害

原告キミ子 金五〇〇、〇〇〇円

原告隆典、同浩美各 金二五〇、〇〇〇円

第三者の不法行為によつて身体を害された者の近親者は、そのために被害者が生命を害された場合にも比肩すべき、または右場合に比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けたときに限り、自己の権利として慰藉料を請求できると解すべきである。

本件についてみるに、前二(一)、(二)、四(一)2の認定事実ならびに〔証拠略〕によると、原告宙典が前二(一)、(二)の重篤化した障害に悩み、その回復は極めて困難であること、その妻である原告は、これまで佐々病院に入院した期間付添看護をなし、自宅療養中も看病を継続してきていること、子である原告隆典、同浩美らの養育にあたつて多大の支障を受けてきたことが認められる。

右の事実関係から、原告キミ子はもとより同隆典、同浩美らは、原告宙典の右障害の発生によつてその生命を害された場合に比して著しく劣らない程度以上の精神的苦痛を受けたことが容易に推認される。よつて、原告キミ子、同隆典、同浩美らは、自己の権利として慰藉料の請求をし得るが、その額は、右の事実関係に四(一)5ないし7等本件に現われた諸般の事情を考慮し、原告宙典の妻である同キミ子につき金五〇〇、〇〇〇円、その子である同隆典、同浩美につきそれぞれ金二五〇、〇〇〇円を相当と認める。

五  結論

以上のとおりであるから、被告に対し、原告宙典は金四〇〇〇、〇〇〇円およびこれに対する本件後遺障害発生後の昭和四六年六月一三日から、原告キミ子は金五〇〇、〇〇〇円、同隆典、同浩美はそれぞれ金二五〇、〇〇〇円および右各金員に対する同昭和四六年一〇月六日からいずれも完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を求め得るので、原告らの本訴各請求は右の限度で正当であるから、これを認容し、その余は失当であるから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条第九三条を、仮執行宣言につき同法第一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 沖野威 中條秀雄 大出晃之)

別表

〈省略〉

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